夢ではない、本当の貴方…    

「ヒロさん」

「ん?」

 M大文学部助教授と言う地位にある俺、上條弘樹は、今は大学も夏休みで論文の締め切りも目前に差し迫ってはいない。
 研修医で頑張る野分も今日は早上がりだったから、後の時間を楽しむことくらいは許されるだろう。
 だから、声のトーンが平静よりも少し高くなってしまったのは、今が夕食も風呂も終えて気侭に過ごしている時のせいだ。
 わざわざ口には出さなくても、普段はお互いが時間に追われるようにして生活しているから、こう言うゆったりとした時間が、とても気に入っていると言う事はすぐに判ることだと思う。

「あの、ですね。ヒロさん」

「あー?」

 けれど、再び掛けられた野分の改まった声に、いつもの事だと判って若干声の音調が下がる。

「今日こそ「駄目だ」

 恋人から最近ずっと繰り返している質問を投げかけられ、返したのは突き放したかのような否定の一言。
 考える暇も無く、バッサリと切り捨てる。

 同じ話題を何度すれば気が済むんだろうか、この忠犬、もとい恋人は。

「どうしてですかっ!」

 議題に上がっているのは、長年付き合っているカップルならば一度はするだろう話。

「いいじゃねーか、そんなこと」

「良いのならさせて下さい」

「い・や・だ」

 一音節ずつ区切って言っても、コイツには効きそうにもない。

 …要するに、『キスマークをつけるか否か』。
 傍から見れば、そんなことで喧嘩するなんて、とも思われるかもしれないが、本人達は至って真面目だ。

「だってお前、1回許したら調子に乗ってつけまくるだろーが」

 これは俺の事情だけれど、自分の肌を見る度に意識して、きっと仕事も何も手に付かなくなるのが判っているから。
 風呂に入る度、腕の袖を捲り上げる度、意識せずにはいられなくなるに違いない。
 テレビの天気予報では、まだまだ暑い日が続くというのに、長袖なんて冗談じゃない。
 尤も、野分がそこまで考えているのかは判らないけれど。

 だけど、こんな恥ずかしい理由を言うわけにはいかない。
 だからただ嫌なんだと諭せば。

「………そんなことしませんよ。多分ですけど」

「今の間と、多分てーのは何だ!!」

 しかも最後の不穏な台詞を言うのが、満面の笑みだってんだから末恐ろしい。
 笑顔で言う台詞じゃねーだろ、普通!

「だって、ヒロさんを前に我慢できる訳無いじゃないですか」

「しろよ!!」

 その内、ツッコミ疲れて俺は死ぬんじゃないかと思う。
 コイツと付き合っていると本当に疲れる。

 …かと言って、別れるつもりは毛頭無いが、それでも色々と精神的に疲れるのはどうしたことだ。
 俺にはまだ野分を掴みきれてはいないと言うことなのか。

「でも、ヒロさんも悪いんですよ? ヒロさん、色も白いから赤色が映えるだろうな、とかつい考えてしまうんです」

「――――っ?! 知るかよ!!」

 言われてちょっと背筋が寒くなったぞ!
 つーか、いつもそんなこと考えてたのか…このムッツリスケベは。
 もう溜息しか出ないっつーか、何つーか…。

「肌だって、ヒロさんは意識したこと無いだろうけど、こんなにスベスベだし、柔らかいし、綺麗で可愛いし。ヒロさんだって、好きなものが目の前にあったら迷わずに食べるでしょう? それと一緒です」

「全然違うだろうが!! てか、触んな!!」

 何か今、猛烈に恥ずかしい。
 そしてそれ以上に恥ずかしすぎるのはこの男は誰だ。
 知らねーぞ、こんな男は!! ←混乱

 それに、いつの間に近寄ってきたんだか、野分は気配が判りにくい。
 風呂上りでまだ熱さの残る肌、その鎖骨の辺りを後ろから直に触られて、体がびくりと震える。

「じゃあ、せめて1つだけでも」

「嫌だっつーの」

 いつもはサッと引くのに、今日はやけの拘るじゃねーか。
 平日だし、野分でも俺の誕生日でも無いし、付き合い始めた日だって違う。
 恋愛に疎い俺だって、記念日くらいはちゃんと頭に入ってる。

 っ、恥ずかしいからあんまり突っ込むな!!

「ヒロさん…」

 思い込んだら一直線で、けれど、背後から覗き込まれた黒い瞳はどこまでも直向で、そうやって迫ってこられると、どうしても普段みたく対処できない。
 コイツは俺が弱いの知っていて、わざとやってるに違いないと言うのは判っているのに。

 …ったく、性格悪ぃ。

「…何でそんなに拘るんだよ。今まで言わなかったじゃねーか」

「それは…」

「理由くらいは聞いてやるから」

 俺だって、それくらいの広い心は持っている。
 許すかどうかはそれからだ。

「……ヒロさん、笑いませんか?」

「笑ったことなんてねーだろ」

 無い…よな?
 過去の自分を振り返って確認する。

 ちゃんと話を聞くというのは、それは誰に対しても変わらない。
 生徒にしろ、数少ない友人にしろ、そして恋人にしろ。
 恋人に対しては若干素直ではない所もあるけれど、それは御愛嬌で許して欲しい所だ。
 正面向いて話し合うのが恥ずかしいと言う、何とも難な性格の持ち主だから。

「言わなきゃ判んねーだろ?」

 しかし偶には真っ直ぐ向き合って、ゆっくり話したりして。
 思いつめているような恋人の話を、無下にしたりするような愚劣はもう犯さない。

 彼を思う所の根っこは、同じなのだから。

「………ヒロさんに跡をつけたいんです」

 小さく搾り出すような声で、肩に顔を埋めるようにして言った彼の顔は、抱き締められている俺からは見えなくて。

「え…?」

「だから! ヒロさんに俺の印をつけたいんです!」

 聞き返せば、野分は顔を上げて何かを吹っ切ったようにまくし立てる。
 照れているのか、何処となしか頬も赤い姿は、俺から見たら年相応に見えて。

 予想外に可愛いな、なんて。

「……って」

「あ―――――…‥」

 尻切れトンボのように語尾が小さくなってゆく野分に、溢れ出る笑いをかみ殺す。

 …どうしよう。
 滅茶苦茶可愛いかもしれない。

 言うことは言ったと、でも俺に対してこんな事を聞かせる訳じゃなかったのだろう。
 後悔する黒目が、流れるような漆黒の髪の間から垣間見える。

 いつもは余裕ぶっこいてるくせに、こんな所で素を見せるなんて卑怯だ。
 これじゃあ…こんな姿を見て、俺が断れる訳ねーじゃねぇか。

「…そんなにしたいのか」

「でもヒロさんが嫌なら…」

 野分は俺が苦手な顔をしていて。
 でもそこからは、いつものような腹黒さは窺えず、必死さだけが俺に伝わってくる。

 ―――俺が好きで、我慢が出来ないという。

 好きな人に好かれることが、こんなに嬉しいと感じられるようになったのはコイツのお陰。
 奪うようにして攫われていった、俺の気持ち。

「お前一人で先走るなってーの。……それと、絶対に1つだけだからな?」

 何があってもこれだけは言っておかなくては。
 跡をつけられる事に抵抗が無いと言えば嘘になるが、そこまで執着されることは素直に嬉しいから。
 かと言って、体に幾つも跡をつけられるのは御免だ。
 ただでさえ変に目の利く上司がいるのなら尚のこと。

「1つ以上つけたら殺す」

「はい!」

 …それに理由なんて判っている。



 『跡』



 矢鱈と生真面目な奴だから、年下だからとか、そんなことでまたウジウジと悩んでいるに違いない。

 ―――――俺はもう、お前のなのに。

 例え1箇所でも、俺が許すと言った意味を汲み取れと言いたくなる。
 でも、急に元気になるコイツを見ていて本当に現金だと思うけれど。

「えっと…ヒロさんは何処がいいですか?」

「っ?! 勝手にしろ、馬鹿が!」

 そう投げ遣りに言うと野分は。

「判りました」

 何でもないように笑って答えるから。

「………」

 もう何も言えなくなるんだ。






「ここでいいですか?」

「………ぁ…」

 項に掛かる長めの髪をかき上げて、野分が濡れた舌先で日に焼けていない象牙のような肌を舐め上げる。
 しかし、細い猫毛が外向きに跳ねている為に、掻き上げきれない癖髪が首筋に掛かり、往復しようとする舌を阻む。
 野分が掻き上げ直す度に、さらさらと手の間から零れるビターチョコレート色の髪が自分の物では無いかのように流れる。
 そのいたちごっこのように繰り返される小さな刺激がくすぐったくて身をよじれば、野分に追いかけるようにして首裏を軽く吸い上げられた。

「んっ……」

「ヒロさん…」

 囁いた言葉は自分の名前に過ぎないのに、どうして胸が高鳴ってしまうんだろう。
 俺にとってはその一音節が、とても甘い媚薬のように聞こえて仕方が無い。

「つけるなら…っ、早く…!」

 遅いかもしれないけれど、躯が間違った反応を起こす前に。
 自分でも弱いと自負している場所を優しく食まれて、それだけで声を上げそうになる。

「ッ…!!」

 野分に何の前触れも無く首筋をきつく吸われて、上がりかけた声を唇を強く噛む事でやり過ごす。
 跡をつけるだけなのに、どうしてこんな反応をしてしまう自分の躯が恨めしい。

「…つきました。ヒロさん、どうかしましたか?」

 どうしたもこうしたもないだろう。
 何と言うか、俺の躯は一人で突っ走ってしまっている状態であって。

「……もしかして…やっぱり嫌でしたか…?」

 強引に押し切るようにしてやったくせに、こういう場面で俺を気遣うなんて、この男しか出来ないこと。

 他の人間なんてもう誰も考えられないくらいに大好きで、躯を許すのもこの男だけなのに。

「…さぁな」

 腕を伸ばせば簡単に引き寄せられる野分を、挑発するように笑ってやった。
 確かめてみれば判るだろ、と。




 隙間も無いほどに抱き締めて。

 独占欲で俺を縛って、そして安心させてくれ。

 月並みな、愛してるなんて言葉は必要ない。




 俺も。

 お前だけが、欲しいんだ。













 後日。



 チラリと見えた首筋の跡を見て、上司が部下をからかう姿が見られたとか、やけに上機嫌な小児救急科の研修医の姿が見られたとか。

 何でもない、俺達の日常生活。





―――月の輪様へ捧ぐ―――





まず、大変遅くなりまして申し訳御座いません……!



そしてリク内容の詳しいものは、

『ACT9では許されていなかったらしい「ヒロさんの綺麗な白い肌に跡を残す」行為を初めて野分が許される
…と言うか『俺の跡を付けて…』って、必死で見つめて訴え(黒目で)姫を篭絡させるお話
特に描写して欲しいのは、襟足の柔らかい髪をかき揚げてのうなじ責め

と言うことでした。
つ、月の輪様、リク消化出来ていますでしょうか(冷汗)


姫→篭絡はされています。
だけれど、野分がそんなに見つめてなi……(痛)



そして、ついつい甘くなってしまったのは御愛嬌と言うことで許してやって下さいませ!
間違いなく愛エゴのせいですから!(責任転嫁)
今月の1日に発売されたと言うのに、まだ浮かれ立っている鳴海であります。


そして今回、驚いたことに野分が腹黒じゃ有りません!(笑)
愛エゴで『野分は腹黒』と言うのが、ウチのデフォルメだけではなかったと言う事も証明されたのに!
まぁ偶にはこんな事があっても良いんじゃないかと、無理矢理に自己納得。






こんなものではありますが、月の輪様、キリリク有難う御座いました!



2006.8.31

 

 

鳴海様、こちらこそ、本当にご馳走様でした! ∩(*^(∀)^*)∩Back  

 

  鳴海克也様の素敵サイト    「唯我独尊」様10,000hit記念  に戴きましたキリリク小説です。   

∩(*^(∀)^*)∩ 鳴海様〜!  本当に有難うございました!  

荒っぽい「妄想リク内容」にも   関わらず、このような素晴らしい 小説を書いて戴き、月の輪は   感激に打ち震えております。   ((((*;(m);*)))) 

大切な宝物とさせて戴きます!    m(*〜(・)〜*)m             月の輪 2006.9.2