真珠の想い
その想いを例えるなら…一体何だろう。
目を閉じてイメージを追う。
固く閉ざした貝の中に、小さな粒がある。
外の海の世界は広いけれど、冷たい海流がとめどなくうねる。
まだ名も形もないけれど、それは確かに息づいている。
その粒はどんな形になるのだろう。


本や書類とが書棚、机、床にもびっしり囲まれている上條准教授の研究室。
だけど、それらはバタバタしてる感じではなく、それなりの法則で積み重なって
いる様子だ。
弘樹は、若くして准教授となり、多忙をきわめながらも、その合間に大事な書籍
の整理には気を配る。

講義が終わった空き時間に小説家・宇佐見秋彦は弘樹に原稿の下読みを頼んでい
た。
弘樹と秋彦は、来客用の机に向かい合いながら、お互い黙って座っている。
出されたコーヒーはもう冷めていた。

弘樹は静かに秋彦の原稿の文字に目を走らせていたが、最後の一枚を置いて、読
み終えた感想を率直に秋彦に言った。
「…読んだ。長編だけど、面白い展開がいくつもあって…すぐ読めた。いいんじ
ゃねぇの、これ」
「そのまま担当に渡せるか」
「俺は担当じゃねぇからどう言うか……あ、でも気になる所があって。ほら、こ
こ…」
「あぁ、それか。あとは何かあるか?」
「ここかな…」
「ふ〜ん…なるほど…」
そこは、秋彦自身も気になってた箇所。
やっぱり弘樹はちゃんと読んでる。

「いつもながら、担当顔負けの批評と指摘だ」
「褒めてもらってると思っていいのか?」
「もちろん」
今まで少し張りつめていた空気が、緩んだ。

「コーヒー冷めちまったな、入れ替えるよ」
弘樹が秋彦と自分のカップを持って立ち上がった時、ふと、机に置かれた秋彦の
スポーツカーのキーホルダーに目がいった。
「…テディベアのキーホルダー?」
「あぁ、もらったんだ」
「そういや、お前んち…コレクターもビックリの『クマの部屋』があったっけ?
」
部屋ひとつを、クマのぬいぐるみが、大小問わず並べられている部屋を初めて見
た時は、圧倒されて声も出なかったことを、弘樹は思い出した。
  (キーホルダーにもクマか。さすがっつーか…徹底してるな)

「あ、リビングにも一番大きいテディベアいたっけ」
コーヒーを淹れなおし、秋彦にカップを渡した。
「あのクマには…お前、名前つけてたよな。確か…」
「鈴木さん」
「おう、そうそう『鈴木』」
「『鈴木さん』までが名前だ」
「クマに、何で日本人の名前かねぇ?」
「日本にいるからだろう」
「ふ〜ん…まぁ、いいけどさ」

初めて会ったときから『変なやつ』と思っていた。今は、秋彦の人となりはもう
知りつくしてる。
いまいち納得できないことがあっても、幼馴染みで耐性が出来ているからか、い
まさら驚きもしない。
「じゃ、なんで『鈴木さん』なんだ? 『田中さん』とか『山本さん』でも良い
んじゃねぇの?」
「……き」
「へ?」
「『き』がついてるのが良いから」
「???気が付く?」
「その『気』でなくて、名前に『き』がついてるからだ」
「それだけの理由?」
「そう」
「へぇ…」
納得できたような、できないような顔で、弘樹は、静かにコーヒーを飲む秋彦の
顔を、まじまじと見た。
  (よくわからんけど…まぁ…作家ってのは言葉に精通して当たり前のプロな
んだし。それなりの理由はあるんだろ)

「さて…帰るよ。空き時間にすまんな」
秋彦は原稿を鞄に入れ、ソファーから立ちあがった。
「何言ってんだ。遠慮するがらかよ」
「また新作ができたら、頼む」
「おぅ、待ってる。そうだ。ついでに、貸してた本あったろ。それも持ってこい
」
「あぁ。忘れなかったらな」
「忘れんじゃねぇっての!」

弘樹は、軽口がたたける数少ない親友で幼馴染み。
弘樹は会った時から、変わらない。…この関係を変えたくはない。
あのテディベアは特別だ。名前の由来も。
弘樹には絶対に言えない。言うつもりもない。
『き』は弘樹の『き』だから…。
だが、さすがに『弘樹』とは付けられない。
そんな理由教えられるわけがない。
ちゃんと両想いで長く続いている恋人がいるんだ。
そんな弘樹に……。

そう。あんなふうに気兼ねなく話せて、時間なんか気にせずにいられるのも。
気持ちを伝えなかったからこそだ。
大切な人を失うぐらいなら、何もせず、何も言わない。
気持ちを打ち明けて、気まずくなるくらいなら、我慢すればいいんだ。
言わなくていいこと、知らなくていいことも世の中にはある。
気持ちを隠して、いっそ忘れてしまったほうが良かったのか。
いや、それでは弘樹とはずっと関係が保てないだろう。
気持ちを持ち続けていても、我慢できないわけじゃない。


想いは、宝物のように包んで、そっと隠しておいたほうがいい場合もある。
例えるなら…阿古屋貝。
外の冷たい海流に流れて行ってしまわないように、壊れてしまわないように、静
かに閉じて真珠の核を守り続ける。
年月が経てば、いつかそれが美しく温かい光を放つ真珠となって、心の中で息づ
くだろう。
弘樹の気持ちが、それがどんな形であれ、俺に向けられている限り。
 
CXILARCO(チエルアルコ)の柚希みつる様より、月の輪堂との相互リンク記念に、
秋→ヒロ初SS作品を頂戴しました!同志、柚希様!クマの大好物を有難うございました!
2007.10.23

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